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第一章(1990〜1992)誕生から初期活動へ


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■ 第一章(1990〜1992)  誕生から初期活動へ
1)1990年、何気ない日常の会話の中からこの長い歴史は始まる。
「えっ!、学生時代にお宅もバンドやってたの?」
「俺もバンド、やってたんだぜ。」
「だったら、できるやつ集めて音出してみようよ。」
「最近、なんか面白いことないかなぁって感じだし。」
「それ、いいねぇ。」
「たまには小規模でもいいからさ、みんな集めてダンスパーティなんかやったりして。」
「最高、最高!」
「よし、やろうぜ!」
−−このとき話のキッカケを作ったのが、初期活動の中心となる3人のメンバー。松井Gt、大島Gt、泉Drである。 各々、昔やっていたパートをそれぞれ担当、残るベースは近くにいた人間に声をかけ、ビートルズと 同じく4人メンバーでスタートすることに。順調に話が進み、みんなでスタジオに集まったのはいいが、ベース担当がいきなり離脱。いきなりの挫折であった。
 だが、たまたま同じ職場にいた岩崎に泉が声を掛ける。
「バンドやろうと思ってるんですけどメンバーが一人足りなくて・・・。どうです、一緒にやりませんか。」
 この後、スタジオに入って、岩崎は生まれて初めてベースギターを手にする。高校時代にフォークギターを弾いていた岩崎だったが、スタジオに入って彼の前 に残されていた楽器はベースだけだったからである。
 躊躇する岩崎に泉がこうささやく、
「大丈夫ですよ。ベースなんてギターより弦は少ないし、ボンボンってやってるだけでいいんですから。全然簡単ですよ。」と。
「じゃぁ!やってみるよ」と、岩崎。(このあとすぐ自分の判断の甘さを痛感する羽目に・・)
 これで岩崎Bが決定。また、大島の友人で一緒にバンドやりたいねと言っていた阿久津Gtもこの頃加入。かくして、リーダ松井Vo.・Gt、大島Gt、阿 久津Gt、泉Dr、岩崎B、計5名でバンド活動がスタートした。

2)メンバーが決まり、何度かスタジオで演奏できるようになってきた頃、ライブ計画が持ち上がる。職場の近くにある小さなパーティ会場に目をつけ、料金交 渉やら持ち込み楽器の調達やら、必要なことを全て自分たちでやった。案内文も、動員も、買い出しまでも全て。目標を持つことでスタジオ練習にも力が入るよ うになっていた。
 そして、いよいよ全員が念願としてたライブ(’91/五反田)を開催する。
「仕事を忘れ、みんなで楽しく飲んで歌って踊ろう!」
ということでやった初めてのライブ。それはバンド誕生の翌年、長い夏が終わり、もう秋の気配を感じる頃であった。
 この後、バンド活動も、新たなイベント企画も活性化する。翌年は同じメンバーでの山中湖一泊ライブ(’92/山中湖)、渋谷でのクリスマスライブ (’92/渋谷)と相次いで開催。まだ、バンドの正式な名前はなく、松井バンドなどと呼ばれていたと記録に残っている。

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