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第二章(1993〜1994)初めてのメンバー交代


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■ 第二章(1993〜1994)  初めてのメンバー交代
1)バンマスであった松井が仙台に転勤することになったため、バンドを脱退することになる(93年春)。
 同じ頃、阿久津Gtが脱退。ブルース好きの彼が目 指す方向と新たにバンドが進み出そうとしていた方向のズレが原因だったように聞く。置く位置の決まっていたモノが何かひとつ動くと他に波及するようにバン ド活動としては必然だったのだろう。
 そのことを証明するかのようにこの後幾度となくメンバー変更が行われることになるが、その度にバンドに変化が起こる。 人間が進化という過程を経て今日に至るように。ややしばらくの間、バンマス不在のままで活動している。

2)松井が抜けた後、最も優先して補強する必要があったボーカリストとして、泉は当時、彼の仕事先に出入りしていた某不動産会社の営業担当であった野崎に 目をつける。野崎は以前、短い期間であったがバンド活動をしていたことがあったとの話を偶然にも飲み会の席で聞いていたからである。
 また、泉はこのとき、さらに同じ職場にいた山北にも声を掛けている。山北もバンド活動をしていた実績があったからなのだが、彼は泉と同じDr担当であっ たにも関わらずである。
 泉自身、そろそろDrを叩くことへの体力的限界と当時我流で始めていたKeyに魅力を感じ始めていたことがあったようだ。
 野崎Vo・Key、山北Drの加入と泉のKey転向によって、それまでの演奏曲の幅を大きく広げることになった。

3)このような変化の中にありながらもライブ活動はさらに活発化し、年次開催を定着化させたばかりでなく、開催する度にイベント規模をも巨大化させてい た。(’93/原宿)、(’94/六本木)
 ただ、それまで比較的順調だったバンド活動がひとつの転機を迎えることになったのは間違いない。そしてこの転機は、この後さらに次の転機となって彼らに 襲いかかることとなる。
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