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第三章(1995〜1999)レベルアップへの道


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■ 第三章(1995〜1999)  レベルアップへの道
1)かねてからロックンロール、ビートルズ路線を強固に主張していた大島がついに脱退。(彼は脱退後、自らをリーダーとするバンドを組成し、新宿や渋谷で 何度かライブを開催している。)
 リードGtの脱退という初めての大きな試練にぶつかったメンバーであったが、泉が持つ独自のネットワークを通じて同じ職場に勤める万田に話を持ちかけ る。その後、近くのスタジオで実際に何かを弾いてもらうことになったが、学生時代、高中などのギタリストに夢中になり、学生バ ンドにも参画、ギターワークをコピーしていたこともあるという彼の言葉通り、メンバーとして十分な働きを感じさせる腕前であった。

2)また、これを機に、メンバー加入したての万田から「本格派のボーカリストがいる」との話に広がり、彼の取引先窓口であった島澤に白羽の矢を立てた。
 高校時代に録音したという一本のデモテープをバンドメンバー全員が試聴。当時のメンバーに驚きと衝撃が走った。
「・・・・凄い!」
「これで、ハードロックができるぞ!」
と湧き起こる熱い期待と同時に、
「本当にJ−BANDに入ってくれるんだろうか」
との漠然とした不安に襲われたと当 時を思い出しながらメンバーは語る。
「少しでもレベルを高くして迎えよう。」
と何度か練習を重ねた後、ついに彼を迎えることとなった。
念願であった本格派ボーカリスト、島澤の登場である。(‘95/六本木)
彼は、このときから別のバンドとの掛け持ち二重生活を続けている。

3)さらにこの頃、泉は仕事先の知人からある人物を紹介される。
 彼こそ、以前音楽の道で飯を食っていたという経歴と実力を持つ岩谷Pecであった。意気投 合し、すぐに参加を決めた岩谷の加入によってJ-BANDの音楽はさらに厚みを増すことになる。
 パーカッションを中心とした曲を本格的に取り入れ始めるの もこの頃からである。(‘96、’97/六本木)

4)翌年には、仕事の都合から山北が一時休止、変わって、趣味とはいえライブハウスでジャズドラムを叩く程の腕前を持つ突田が加入(’98/六本木)。
 また翌年には本格的Piano奏者として瀧田が加入(この年限り)(’99/六本木)など、この時期のJ−BANDは誕生から数えて幾度目かのメンバー 交 代、数々の有能なメンバーとの接触、大規模な会場を毎年借り切って行うイベント力など、いくつかの試練を乗り越えながらも確実に大きな成長を遂げている。
 なお、”J-BAND”という名前もこの頃から定着していたようだ。
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